忍者ブログ
  「何か」を残すための備忘録ブログ
[27]  [28]  [29]  [30]  [31]  [32]  [33]  [34]  [35
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


 東京の空には星が無い。今日は曇りかと思えども、ちぎれた小さな浮雲が漂泊している。
どうやら事実のようだ。
とりわけ私のアパートの近くには片道4車線の甲州街道が走っている。それゆえ幽かにみえるのは、おそらく一等星であろう。

 最寄りの駅は桜上水で、家から少し出ると甲州街道と並列して長い公園がある。そこは桜並木で今は緑で一杯である。時期には、花見客もいる。
PA0_0040.JPG
 花見は散り桜を見るというのはいうまでもない。花が散るとほぼ同時に緑の芽が出始める。この時期が花見の醍醐味だと思う。散りゆく中で、新しい生命を感じさせる緑が日差しを受けてきれいに映えるのであります。吹かれて落ちた花びらが道路を彩り、雨に流され暗い道へ吸い込まれていくのを見ていると、脊椎カリエスだけは避けられそうだ。

 pです。皆さんいかがお過ごしでしょうか。新生活には慣れましたでしょうか。皆さんのこれからの一層の活躍を期待しております。

 さて、昔話をします。
 私が入った大学では、入学式の1週間前から学生指導週間なるものがあり、大学に通って色々なガイダンスを聞く期間がありました。それで初めてキャンパスに入ると、サークルの勧誘ということでたくさんのブースが軒を連ね、いわゆるキャッチ的な仕事をして声をかけて歩きまわっている人もいました。友人と歩いているとラグビー部のガタイのよい奴が声をかけてきて「新入生?ラグビーやんない?」「そのブローチさし色?いいねぇ、さしまくりだねぇ」なんて。狂ってるやつもいるのです。
 普通は仮入部的な期間をあけてからなのですが、私は株式投資のサークルにその日のうちに入会しました。ブースに入り椅子に座ると、左手の甲に巨大な根性焼きを入れた先輩など2,3人が周りに座って、色々と説明を聞きました。特別講師として来てくださるかたはデイトレーダーで某年の決算利益が1憶、その翌年がマイナス2千万(米株が下がれば日本のどんなに優秀な企業も下がる)のやり手で現在起業している方でした(20代で4憶動かしている)。別の日には実際に会って、取引を見させていただきました。ちなみに彼の第一声は「市場で食ってる方ですか?」でありました。
 もうひとつサークルに入ろうか迷ったこともありました。軽音楽、バンドのサークルです。新入生歓迎(新歓)ライヴを、東京事変とDOPING PANDAをやるということで、見に行きました。事変のほうはキラーチューンは全部は見れませんでしたが、他の金魚の箱や透明人間を見て「ほう」となり、カメラをまわしました。
 そのサークルの新歓ライヴ打ち上げに参加しました。大学のサークルは異常にメタル好きが多かったです。例によって「the band apart、東京事変やってました」といっても案の定「事変やってたんだ。でも、もういっこのほうって何?」の繰り返しです。しかしながら世間はそれほど狭くなく、「知ってる!コーラルリーフのドラムやってた」とか「バンアパ来たー!」と先輩とハグしたり、貸し切ったにも関わらず座りきれない居酒屋で声が枯れそうなほど喋りました。その先輩とは「俺原さんパートだよ。難しい、どうしよう」「スウィープはまかせろ」とかバンド結成確定的な話まで出ました。
 しかしながら大学は勉強したいと思っていたので、勉強と株サークルとバイトが優先されたので、時間的な猶予が無く迷っていました。先輩に「サークルやるのに時間がないんですよ、俺1年でゼミ3つ入りましたもん」というと、ひどく怒られました。普通は入って1つ、3つなんて論外です。ちなみにそのゼミの名前は「中小企業ベンチャー論」「経済デテクティブ講座」「ジェンダー論」です。「エクセル、パワーポイントで学ぶ統計学」というのもやりたかったのですが、単位取得の制限数をオーバーしたため不可能でした。
 私の大学はこのような感じで始まりました。

 まだまだ書き足りない昔話はあります。
ただ会社が馬鹿に忙しいので、更新は滞るかもしれませんが、今後ともよろしくお願いします。

                                  再拝
PR


 p
です。

これまでの生活環境を整理する、というのは私にとって大方「品々に各々の記憶へ繋がる経路を遮断する」という作業でした。現在の科学によると記憶の喪失、つまり思い出せないというのは脳内にある記憶情報が失われているのではなく、そこに到達するまでの神経経路が喪失ないし接触不良を起こしているらしい。

私が整理したのは、例えば、視覚的到達経路を遮断する。ほとんどの物を日焼け防止を兼ねて段ボールに入れました。酒を整理しました。東京に持って行く分を除いて、段ボールにこれまでのコレクションを、もう要らなくなってしまったファッション雑誌に一通り目を通し、好きなショットを保存した後にそれらを1ページずつ羅生門的に剥ぎ取り、そのまま緩衝材に用いて、箱の中に、「あけてあげられなかった、御免」と慈しむ様に納めました。「美味い酒は状況が生み出す」とはよく言ったものです。用いた段ボールは薬品の輸送に使われる頑丈なものなので、よほどのことでなければ安心できると思われます。又うちのリビングの本棚には「ジョジョの奇妙な冒険」がずらりと佇んでいます。ですがその80冊分の物質を3.5GBほどのデータとして手に入れました。第六部の終焉のほうは泣きました。また「花の慶次―雲の彼方に―」を読んでも涙がでました。文字通り傾寄者は数寄者の上位に立つ者、風流であり、ああなりたいものです。

さらに、物質変化的遮断(所謂「捨てる」で結構)。CDラックも片付けました。学時代にバンドでやっていた曲が入ったCD-Rは曲をピックアップして聞いたあと「この曲のベースの運指は忘れてしまったけれどもフレーズははっきり覚えている」なんてことがしばしばあって、ふと冷淡になりそのままドライブから取り出した後はダストボックスへ即座に投棄しました。DVDでは「40年代からロックは始まった」と豪語する男が出てくる80年代のイギリスパンクのフィルムが出てきたりして、日本にはない純粋なパンク(例えば無職者(求職者)が首相の政治著書を読んで、批判して、バンド形式で主張する)を勉強したことを思い出したりしました。

RWはフォーマット(物質変化的遮断)して「更新」し続けます(唯物論的比喩を書くと久方に此処でのIDを実感します)。ポイントはこれですよね。私はある特異点から過去を消し去りたいと願っている人ですから(振り返れば、飛びたい)、それゆえに今と少しの歴史があれば十分楽しいのです。

小恥ずかしい話を(HATAにばらされたのを機会に)すると私は小学4年のとき時計の秒針を計って授業終了のベルがなる直前に「Now!」と叫んでいました。一寸流行ったので次の糞ギャグも考えていたりしました。本当にくだらなく思われます。しかしながらこれは当時のめちゃイケのパクリでやったものです。しかしお笑いに興味を示さなかった当時の小学生は如何に流行を体験できずにいたのか、私のオリジナルな言動と捉え、加えて笑う犬の冒険のビビる大木のギャグを朝6時から練習して完コピを披露しても理解できる人は周囲におらず、お笑いに「先駆」すぎたかと反省し、以降(テレビ的な)お笑いは過ぎるプライオリティをとっていたので控えてきました。「KY」という造語ももともと私が中学時代にめちゃイケで業界用語として登場して学校内で知る者と使っていたくらいですから、かなりのタイムラグがあるわけです。この言葉で流行に乗れていると勘違いしている俗も少数ではないでしょう。広まった原因はいうまでもなく日本言語に象徴される文化の特徴が関係するところであります。話がずれましたね。

他にも沢山の過去に繋がり得る品々の処分をしました。ただ焼却処分として捨てるだけでなく、箱に入れ期待半分に見捨するように片付けたのであります。

 
  PA0_0046.JPG

画像は、水わりを蓄えていた焼酎サーバーです。これを片付ける際に蓋のラップについている水滴をひとなめしてみました。蒸発した焼酎の香りがまろやかさとふくよかさを出し、甘みが感じられ驚きました。染色と同様で、このテのものは分子の結合の領域です。他の焼酎も楽しみであります。

 




 先日、岩手に2泊3日の旅行に行ってまいりました。八幡平リゾートです。一番大きく伸びている建物は、使用建材、デザインレイアウト、色配、どれもバブル期の遺産だと語っていたりしたものです。

PA0_0045.JPG









 岩手山を背景に安比高原をはじめとする山々のパノラマを見渡しながら滑るゲレンデは、時期に外れ圧雪車の跡がそのまま固まり硬く、スキーをするには膝に悪いであろう所も見受けられましたが、それにしても緩やかでリフト9分の大変長いコースを左右一杯に使ってパノラマを楽しんだり、速度を実感したりしり、面白かったです。
PA0_0043.JPG








スノースクータなるものにも乗りました。これはハンドルを使って方向転換を図るのではなく重心移動で曲がる物だと、「頭でわかっていたので」、初めてでしたがうまくいきました。私はスノーボードの経験はありませんが、おそらくすぐできるようになると思います。所詮は板で摩擦が少ない坂を滑るという運動ですので、骨を掴めば簡単なものです。

 

この3月はとても楽しかった1カ月でありました。まだまだやり遂げられぬこともありますが等閑にしておくものまた来るべく折の興になるものです。この1,2年を振り返りてはしみじみと有難さを噛み締めている、一人酒の肴には申し分ないのであります。


PA0_0001.JPG
 画像
 カクテル

 
シャンディ・ガフ 

 ビールとジンジャーエールを同量をゴブレットに入れステアして完成です。
 ビールには市販ではやや質の良いプレミアムモルツを使い、ジンジャーエールは、今は買収された仙台味噌のあるビルで買い付けたものを使いました。

                           再拝 


 メンズノンノ(G?)にヴィトンとのコラボで載っていた松田龍平が、赤茶系のすっとした服装で、胡散臭い街を歩いている。ハゲタカ以来彼を好きになってしまったが、あの眼がとても好きだ。超越者のような眼。ディオールとの機会の時に映えていた黒のピアスは今でもよく付けている。。

 pです。更新したいことが色々と溜まっています。


 
荒川区の町工場には世界シェアが非常に高い企業が数多くある。技術オリンピック(20歳以下)旋盤部門一位の男性のドキュメンタリー番組で、彼はインクひと塗りという極めて薄い部分を手動で、まさに精密に削るというのを見せてくれた。日本の知識社会とはそうあってほしいものだと思う。

 日給1万で受けたいつかの日雇いの仕事の一つに、大きな市民ホールの照明系統の電圧整備があった。
測定時に電圧を表示メモリの百分の一まで読み、さらにレバーを調整する作業があった。
reba-.JPG










実際、これを一発で調整するのは無理だ。熟練の方でも不可能に限りなく近い。丁度いい例えで言うと、定規にはせいぜい1mmまでしか記載されていないが、それを用いて0.1mmを測れというものだ。実際は無線を使ってひたすら「もうちょっと」のくり返しだ。
それでも日本の目指すところの知識社会とはそうでなければならない。
 そうでなければ日本の未来はない。というのは当然、周知で言うまでもない。

 そしてもうひとつ、30A(アンペア)×4の電流が流れる端子にワニグチを挟む作業の時は、「あっ、人死ぬから」と言われ、覚悟した。ややもすれば1万円のために死ぬ、と。もう一方の端子を回路につなぐと火花が飛び散る。化学的見地から見れば電流とは電気、つまり電子であるから当然見えるはずがない。高校の時の塾の先生が「電子が見えるスコープを開発できればノーベル賞だな。基盤が見えればこの上ない(つまり故障が可視となる)」と言っていたのを思い出し、今こそ欲しいと感じた。
制御盤とは文化享受の負の裏づけのシェイプシフターである。


 たいそれたタイトルを付けましたが読み取ってもらえれば幸いです。



                      再拝
 


カレンダー 
01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
フリーエリア 
最新CM 
[02/04 ミナやん]
[11/23 ぺこ]
[11/17 青木]
[11/12 ひさたか]
[04/30 あらせき]
[04/05 p]
[04/01 ハタヤマリョウタ]
最新記事 
最新TB 
プロフィール 
HN:
p
性別:
男性
趣味:
哲学・経済学
自己紹介:
・好きなアーティスト
the band apart
東京事変

・好きな食べ物
たこわさ
砂肝


・好きな文学作品
「こころ」
「山月記」

・好きな芸能人
藤巻幸夫
松田龍平

・好きなドラマ
ハゲタカ
富豪刑事

・夢
文化人

・特技
脱俗
熟考
スウィング
ギター
ベース
ドラム
バーコード 
ブログ内検索 
最古記事 
(02/06)
(02/06)
(02/19)
カウンター 
フリーエリア 
FX NEWS 

-外国為替-


忍者ブログ [PR]