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  「何か」を残すための備忘録ブログ
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 二月二八日。

 この時期は半袖のTシャツ1枚で過ごせるほどになっていたのでラグの上で荷物のなにかを枕に睡眠。いざとさあいまって、三人の中で最も早く起床すると、タオルケットをかけてもらったことに気がつき、昨日の食の仕打ちの後とは思えない朝であった。
 時間になったら起こすようと賜っていたので声をかけると、「あと五分」といぎたなく寝がえりを繰り返すtiltと「起きて」というその彼女が、神々しいほどに眩しい。後光に心を洗われる。ふと気がつけば、朝日である。
 人は寝起きを阻害されるとカニバサミで応戦するらしく、ベッドの占有率の訴えももはや聞く耳持たずに棄却される。
 この日は皆別行動となる。国際通りに行きたいとのことで、車で牧志駅に着くのは昼下がりに思える午前。駅のコインロッカーにキャリーケースを預け、散策のスイッチが入る。まずモノレールに乗ってみたいと、ゆいレールの一日乗車券買って県庁前に行く。官舎を端に伸びる国際通りの入口はおきなわ屋で、写真を撮ったり送料の安い土産屋を探しに一軒一軒見て回る。スタイリッシュなファミリーマート。すべての泡盛を見ているうちに試飲と試食の延長が示唆され自重の文字が脳裏に灯され始めたが、やはり一日置けば食欲は回復するもので様々な琉球食文化をつまむ。この日はYSLの白いシャツにベルボトム、そして前日に琉球村で買ったばかりの首飾りでハンチングをかぶった格好だったが、それが明確なないちゃーだという記号になったようで「お早う!絶対沖縄の人だよね?」と元気なはいさいおばちゃんに声をかけられる。意図が手に取るようにわかった。新宿アルタ前でのようなあしらいをして回避すると今度は「また来てね」とすれ違ってから背中に言われた。沖縄のイントネーションは、染みる。この「また」とはもちろん、沖縄に、ということであるに違いない。沖縄の人は、いい人だ。それを都会と同じ意図として汲み取ったことが恥ずかしくなり、復路ではどもる少年のような気持ちでその店に入った。日本一面白いTシャツ屋という看板があちこちに目がつく国際通りは御徒町のような特徴をもっていて、トヨタの外国人村とも言うべきか、独特な胡散臭さもある。御徒町のような「タラバガニが三杯で五百円」という極端な例は無かったけれど、そんな街がよかったりした。中に星の砂が入った浮き玉を買った。
 お昼を決めるために足をとめパンフレットを見ていると、おじいちゃんに声をかけられる。「どこに行きたいの?」お昼をカフェで食べようと思っていて、今探しているところなんです、と言うと、「かふぇ?」
このおじいちゃんはカフェを知らないらしく、珈琲を飲む場所、喫茶店のことだと説明すると「コーヒーならそこの三越の隣にあるから、そこ行きなよ」と精いっぱい説明してくれた。お節介というか、よく声をかけられたのを記憶している。そのカフェには行く気になれず、雰囲気のいい路面店でパスタを食べる。東京と変わらない値段であった。
 食べ終わった後、波照間に電話をかけてみる。前日にA&W、ソーキそば、タコライス、ポーポー、ブルーシール、サーターアンダギーを食べたよと言うと「沖縄全部食べてるね!」と言われ、にやにやとしたり顔が同居したような顔つきで闊歩した。「あぐーを食べてないからそれが食べたいねー」なんて会話のあとに、おきなわ屋本社でお土産を買い、首里城へ向かうことを決める。スカートにくるぶし丈のソックスをはいた女子高生が目に新しい。
 街を歩いていてもゆいレールに乗っていても、ないちゃーに間違いないという目で見られる。初日のA&Wではテーブル席にいた女子高生四人組の目が一番最初でだった。沖縄っていいところですねー。
 首里駅で下車し公園のような丘をのぼって順路に応じて歩みを進めると、街の景色と海が見えた。生憎の曇りではあったが、灰色の空と煤のようなくすぶった遠くの海との境がなくなりそうで、三つの色がモノトーンで絵になった。
 中山王の尚巴志が北山南山を統一した後の居城、マンガの前田慶次で出てきたワード「うぇーかた」。修繕工事をしていたが、マネジメントはよろしいので、格段気落ちすることなく見てまわることができた。正殿の上階からは御庭(うなー)を一望でき、ここから王政の号令をかけていたのだろうかと思いつつ御座や御冠をまじまじと味わう。柱に描かれた竜は、照間さんから教えてもらったシーサーの話と同様に、口の開閉が見受けられた。本殿から斜角をつけて敷かれる道は、国王を正面から見れないようにするためとのことと聞く。尚一族の家系図やジオラマもあり歴史に触れる場所でありました。
 皆朱の槍を思わせるような見事な朱に感動。戦火を受けるにはあまりに惜しいものであります。
尚寧についての記述を見落としていたのか、あるいは探せなかったのか、それが心残りであるので再訪希望。
 日が落ちてきた頃に首里城を出る。儀保という表札を見ながら城のまわりを一周しようと歩いていると、煙草をくゆらすタクシーの運転手が声をかけてくれた。外見の要素は大きい。どこへ行くかを尋ねられ首里駅に向かっていると告げると「相乗りでいいなら150円で連れてってあげる」と言われたが、生憎散策をしたい身なので丁重にお断りする。それでも食い下がらない運転手。お節介なのか、優しさなのか。利便性をすこしでもとろうとするぶん勧めるうちなーと、普段利便性の粋の恩恵を享受しているぶん今回はそれを放棄したいないちゃーとの相互誤解。度が過ぎなければ興が乗るのだが。
 きっとあそこが首里高校なんだろうと思いながら散策を終え、ゆいレールでおもろまちへ向かった。国内では特別免税のDFSへ立ち寄り、ブランドが軒を連ねる中を視察。入口の一等地はGUCCI。水流のトンネルを通り、コスメエリアが広がっていた。ルイ・ヴィトンはやはり免税価格ではなく、国内価格と同一であった。免税のためのチケットの手続きもしなかったので見るだけ見てホテルのある美栄橋へ向かった。
 チェックインの際受付の女性の名札に仲村渠とあり、珍しい苗字であるので姉妹かと思い浮かんだ。部屋に入ってからはどんなご飯を食べようか考え、パソコンをレンタルしお店を探した。一寸距離をおいたところによさそうなカフェがあったのでそこへふらふらと流されていった。「東京から来ました」なんて月並みな会話をしながらピザを食してどこぞのサンピンのような足取りでホテルまで戻った。すべきことがなくなり、身動きもとりにくくなったので、寂しい気持ちに駆り立てられた。この状況の中の電話が差し伸べてくれた安堵感は計り知れない。
 洗濯を済ませそれをドライヤーで強引に乾かし、ふと眠りに就いた。
 二月の末日のことである。

                           再拝
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