順応という反射は、自己のあずかり知らぬ所で行われているものであります。
pです。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
二月二六日。
丸善丸の内店へ。セレクトブックストアといえるのは、今でも丸善の株は百貨店系列に分類されるからであり、店員もスーツでレジに待機する。関西の出版社が京都の観光ブックを丸善のみを販売経路に期間限定発売ということで、購入。るるぶとはまた違って、内容も洗練されている。そのまま大丸の都路理でお土産を買い、中央線快速で降りるは新宿。友人とボーリングを練習する。カーブの精度が村井君のドラムのような不安定さで、実戦では使い物にならない。「糞がっ」と言っていると、1ピンストライクイベントで1ゲーム無料券を獲得。
その後、同級生と新宿東口で待ち合わせ。店が決まっておらずアルタ前をフラフラしている一行に、珍しく端正なキャッチが来たが、1600円飲み放題に対し「三桁がいいなぁ~」などと浴びせ、鍋コースをひたすら値切る。しつこいまでの追い込みをかけ、限界まで達したところで「さぁこれからどれくらい安くできます?」と真に追撃し、「じゃあ、他の店にしましょうか」これが私が刺したとどめの一言。
梅酒を舐めながら語るは色について。池袋のホテルを何軒回ったとか、外での青い経験があるかとか。皆、色と性を識る。
カラオケ徹夜を乗り越え、リムジンバスに乗って羽田空港へ。
二月二十七日。
物心ついてから初めて乗る飛行機に一寸楽しさが混じった緊張を覚えながら、搭乗手続きを済ませる。機内に持って行けるサイズのキャリーケースをやはり預け、手荷物検査も無事にパス。沖縄で待つ友人へのおもちゃのプレゼントがネックだった。
急遽搭乗機体が変更になり、予約していた窓際のシートとは縁が無くなった。天候にも恵まれず、離陸も遅延。バス出発前に、「今日の夢でさ、誰かが飛行機墜落で死ぬ夢を見たんだよね!それってpのことじゃん!」と告げられ、前途一抹では収まらない不安がよぎる。
初めて体験する加速とG。慣性系の中では平時と同じ環境でも、やはり鋼の翼は時速1000キロに達する速度で運動しているので、異変は感じる。手術を終えて車で帰宅した折、時速60キロで術痕が開きそうになったことを思い出したりしながら、京都の本を読んで仮眠をとる。
到着後、空は晴れていて、青い。きれいな青と、きれいな海。青い海というよりは、マリングリーンとでも言うべき色彩に発する言葉はひとつでありました。
11時。空港まで、tiltに迎えに来てもらう。彼の彼女とも初対面。三人でトッポBJへ乗り込み移動する。車内のBGMは東京事変であり、晴れた青と暖かい車内が都会にはない新鮮さを与えてくれる。ダッシュボードにはさんぴん茶。どこまでも気持ちがいい。
A&Wというファーストフード店で、よりアメリカナイズされたジャンクフードにありつく。前からここのカーリーフライなるものが食べたかったのでコンボで頂く。コーラに毛が生えたようなルートビアというドリンクが、これもアメリカンサイズなのか、ジョッキで提供される。ダメ押しに飲み放題らしい。tiltは相変わらずマヨネーズが苦手なようであったにもかかわらず白さ際立つバーガーを注文していた。結果、半分ほど食べたところで私のピリ辛ドックと交換。マヨネーズがきのこの風味を際立てていた逸品であったし、彼もそのドックをなんなく食した。共通点として、彼の彼女もマヨネーズが苦手のようである。
午後の予報は曇り。空気と空の表情がざわつき、スコールの前兆を推測しながら、「pさ、海見たほうがいいよね」と、青空冴えるトロピカルビーチへ一行は向かう。coral reefを手にしたり、tiltにナマコをつまんでもらったり、立ち小便をしているどこぞのサンピンを横目に、水平線を臨む。ビーチであるのにもかかわらず、磯の臭さがないことに関心しながら「靴に砂が入るねー」なんて平成ドラマのようなシチュエーションの中、革靴には不得手なゴツゴツした岩場を歩いて落ち付いた時間を過ごす。
58号線を走りながら、住宅様式としてコンクリート打ちっ放しの家が多いことに気がつく。たしかに、この風土において台風は猛威らしい。
そしてブルーシールというアイスクリーム店で美らイモとキャラメルマキアートのダブルをワッフルコーンで腹に入れる。元来さつまいもが大好きなので、イモ類テイストがこの上なく美味く感じられる。そこに女性二人が駆けつけてくれた。半年ぶりの仲村渠さんは相変わらずめんこい。
メンバーが五人になったところで、琉球村という観光地へ車二台で走る。前方の車班の、後車の追随を弄ぶような運転に楽しみ半分心配になる。無駄な車線変更。黄色信号の置き去り。後で声をかけてみたところ本人はわりと気づいていないようで、前方の車班二人はそれすら見越していたようであった。車線変更の際ウィンカーを出さない沖縄の交通倫理はどうかしているのであろうか。
琉球村には高名な氏族の遺構があった。風通りのよい建物のつくりやウィンドプルーフな瓦は、先聞の通りで、実物を目の前にするとやはり良い。照間さんのシーサーの口の開閉の話が素敵であり、首里城でもそれは見受けられるものであった。あと一人加えて、私が知っている沖縄生まれの三人は、皆琉球らしい名前である。
泡盛に漬かっていない、生きているハブがいる小屋や、マングース小屋があるゾーンは密林のような環境で、緑葉植物の独自性と風土を感じながらハブの土産屋という一寸場違いな一角で、tiltがはいていたサイズの小さなサンダルと最適なサイズを比較照合したりした。
沖縄の各地でサーターアンダギーを食べたが、この琉球村のものが一番美味しかった。外がカリカリはもちろん中もふわふわもっちりしていて、サイズも大きく他のやさぐれたそれとは比べ物にならない。お茶で喉を通らせる。このあたりから「あれ?食べないの?」という無言の掟が定まる。
ポーポーというクレープかワッフルの生地をロール状にした、なんとも腹にたまる菓子を詰め込む。このポーポーが与える満腹感の印象が今でも強く残っている。注文を躊躇すると、即座に「あれ?pさん?」が飛んでくる。食べているところを見た他の観光客に「それ美味しいの?」と聞かれたが「おいしいですよ!」と言うだけいって、「お父さんもおひとつどうですか?」といつもの調子なら言い出せるものを、よほど余裕がなかったらしい。
予想通り雨が降り出したところで、牛が圧搾機でサトウキビを搾っているのを横目に、豪快に鉈を振り下ろし穿った箇所にストローを四本入れ、椰子のジュースを飲む。「癖が無い」と言ったところに「悪く言えば味がしない」と切り返され、たじたじになった。1リットル以上はゆうにあったのか、皆で飲んでも干せず、結局野郎二人で、最後まで飲んで水っ腹になっていたに違いない。
同時に、椰子の果肉に醤油をぶっかけた一品が出てきた。これが寿司のエンガワに非常によくにた食べ物で、実に美味しい。芯がある部分では大根のようにも思えるものだが、柔らかい部分は本当にエンガワそのものであった。甘さがある分むしろやっかいなもので、本当に美味しかった。別腹であったせいか、小鉢に残った最後の一切れまで頂いてしまった。
エイサーやカラフルな獅子舞を見て、陶器がトップのネックレスを買い、雨の琉球村を後にした。濡れるの厭う内地の人は、車を入口まで呼び寄せた。
夕方、てだこそばという、沖縄でも三本の指にはいるほどうまいと聞いた沖縄そばを食べた。無論、泣く泣く大盛りで。沖縄そばといえども、質のよいものを食べれると、いい。質は、である。食べ終わった後、DIVE INTO DISNEYのようなコンピレーションアルバムを求めにビレッジバンガードに行く。車内はさっそく「星に願いを/When you wishu upon a star」をチューン。前作ではthe band apartが担当した曲である。avengers in sci-fiは、正直納得できないものであった。おとぎ話と相対性理論の声には、中毒性がある。
間髪入れず、キングタコスで野菜とチーズがトッピングされたタコスを注文。プレーンなタコスに逃げることを阻止される。そしてこの日、生涯は初めて「食べるという行為それ自体に、飽きを感じた」のであった。スプーンで具材を掻き集め、口に運び、舌を噛まないように咀嚼し、飲みこむというこの一連の動作に伴う倦怠感が否めず、「食に苦労」した。腹も満杯という臨界点に近づいたところで、残すという途中放棄どころか、「こうまで時間をかけて食べているだけでも恥」という風潮をそれをなく感じたこともあり、最後の三口は四人に見守られながらであった。大食いに自信がないわけではなかったが、食に関して「頑張れ」と言われたのは初めてで、尊大な羞恥心あいまって救いを求める複雑な気持ちに落ち込んだ。
店を出てすぐ、頑張ったで賞のような調子でUCC自販機より「霧の紅茶アップルティー500ML」を頂いた。あまーい。
夜は夜で、それこそ素敵であった。コンクリート打ちっ放しの内装に見紛う素敵な部屋で一泊。三人で文化祭のライブを見たりした。
二月二八日。
目が覚めると、タオルケットをかけてもらったことに気がついて、昨日の食の仕打ちの後とは思えない朝であった。
再拝
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