私の部屋には南と西から陽が入り、一日中明るい。
湿度計が60を指し、糞の様な余熱に襲われる夜は狂いそうになる。
道を歩くとある一戸建てを構える家族がバーベキューをしていた。洗練された紺のデザインで、私の1番お気に入りであったビール、プライムタイムは、私の思い入れと私がサブミットした評判のあずかり知らぬところで、どうやら廃版になったらしい。
pです。皆さんいかがお過ごしでしょうか。朝3時までパソコンで書類を作っていると、朝までアウェイクでいけそうな気になりました。この時間帯に聞く音楽のテンポが速く聞こえるのは変わっていないようです。
東京で新生活を始める人はまず電車文化を目の当たりにする。「東京性」というのは、この文化に由来する部分があると考える。時間に制約され、社会的に見られており、単純作業の反復が続く環境が人を変える。それゆえその文化が疎ましいと踏ん切りをつけた都会人が下るというのも寡聞にして聞かないわけではない。東京の人は冷たいという命題を簡単に引き出すのはよろしくないけれども、どうやら各々自身の時間的な世話に多忙らしい。
しかし私がよく行く、昔ながらの商店街の個人経営のパン屋のご主人は1日中パンを作り、それ以外の時間は持て余しているようだ。甲州街道から脇道にだいぶ入ったところに店を構えているため来客は多くない。客を待つ姿は寂しそうだ。生活事情を話したり、仲が良くになるにつれて、頼んでみたところ、パンの耳(実質食パンも入っている)を頂けるようになった。フレンチトーストにして食べたり、お世話になっている。人情味が無いとは言わせない。
さて、例外を紹介したところで、私の食生活は冷凍庫に依存している。時間的に空きがあるときに、実家から送られてくる米を、5合炊いて、保存。当然炊き立てに比べ味は劣るが東京の米に比べても、やはり2つの意味で有難さを感じる。炊いたご飯を冷ましてから、簡単な具材で家庭版チャーハンやチキンライスを作り、保存。チャーハンはごま油を用いると店の風味に近づくけれども、量によってはあるいは風味が強すぎて、胡椒の風味が入りにくくなる。溶いた卵とごはんを混ぜた、いわゆる卵かけごはんの状態から炒めると一粒一粒がパラパラと仕上がるが、米粒自体が卵でコーティングされるため見栄えは非常に黄色になってしまう。黄金にはほど遠い。チキンライスにはバターを使うが、中々お目見えできない。同僚でハンバーグを作るのにひき肉からパン粉なしで頑張ったものの、バターとネオソフト(マーガリン)を間違って購入し、気付かず代用した奴がいた。その話を聞き「代替材だからね」と私が言うと、「そうだよ、植物性と動物性の違いだけだよ」と。つけ上がるとは笑止である。話を戻すが味付けご飯も冷凍保存である。
夜にスーパーによく行く。日持ちしない食品に値引きシールが貼られると、皆手を出さずにはいられない。肉を買ってきては冷凍する。解凍後、玉ねぎ、もやしとを牛角の焼き肉のたれで炒めるのが主な扱いだ。冷凍庫は米と肉で満たされており、既製品のキャベツサラダなどもあるので、開通したパソコンも合わせて、籠城気分に、酔っているのであります。
料理には、男料理と女料理があるという立場を私はとっている。封建制時代の男女関係も嫌いではないので、やはり男料理は一通りできるようになりたい。
私は小さな生活技術を見つけるのを楽しみにすることができる性格である。部屋のデザインはユニークにしたかったが実家から持ち越したものが必然と多いので色を基調とする統一は完全ではない。理想のデザインには当然金がかかるので今のところあきらめはついている。ただその分利便性追及には人一倍こだわりがある。キャスターが付いているダブルのハンガーラックが2台もあるので、上段に洗濯物を干してエアコンの前に移動するというシステムは中々画期的だと思っている。六畳の部屋を若干の威圧を持って占有しているが服を見るのが好きなので、とりあえず釣り合いはとれている。
経済学は説明しにくいものであるけれども、表面にすぎない部分を述べると「考え方、あるいはインセンティヴな合理性を探求する学問」であります。合理的で、経済的(節約的という語の意味を含む)な考え方をコンスタントで自発的に提案していく環境に私はいるのでありました。
再拝
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