部屋を掃除していると高校の時の卒業文集が出てきたので、そこで書いたものを紹介しておこうかと思います。
自己投資と蓄積が生む将来性と期待値
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「日本を買い叩く。」
この名言を残した、ハゲタカからその手法を活かして「本物」になった鷲津氏のような凄腕ファンドマニジャーになるので、将来私は絶対的な金持ちであるに違いない。
それを見越した小粋なフェローらが「将来、ヨウジヤマモトのスーツとか上下で買ってね」「百万円くらい軽く頂戴ね」と言うこともあって、センター試験まであと2ヶ月をきったこの時期にでも、私はやはりかねてからの「実学」を重んじて、受験勉強そっちのけで証券会社や慶應義塾大学投資サークルのホームページを漁ったり、特定の銘柄の株価をチェックしたり、あたかも自身がタイクーンかのような口ぶりで話す経済評論家達の討論番組の録画を何度も見たりするのに余念の無い生活を送ってきた。最近はローソク足の勉強と株式会社「ワタミ」取締役兼CEOの渡邉美樹社長の著書を熟読している。また氏は教育問題にも活動をみせており、私は氏の大学入試廃止論にほとんど反対しない。
そのようなことを継続するのは、文武とは比例的な投資であると思うからであり、またこの学校の先生も引用を選ぶのに迷うほど多くそう言っている。その係数とは才能であって、変数は情報とそれに伴う知識をどれだけ取り込んだかの時間の絶対量に依るところのものであると私は考える。しかし加えて問題との相性も非常に重要であり、これが私の現在の受験勉強に対する捉え方である。それゆえ私は2,3時間という受験生にとってこの上なく貴重な時間を、毎日ウェブで情報収集するのに費やしている。けれども模試で学年一位をとることもできたことが、それについての強烈な後ろ盾になっていると考えざるをえないのである。超競争など実学に背馳することがあるから、これくらいの等閑なスタンスで良いと思う。
それにしても、金権による傲慢さが浮かぶのだろうか、金持ちという言い回しは何かと世間体が悪いようだ。しかしながら漢文を読むと「文化人が財をつくるのはあくまで自分の生き方を貫くためだ」とある。私の場合上記のようなふるまいや文化活動(文化旅行、文学、音楽、また個人的なメセナ)、投資、そして垣根無しの社会貢献など趣味やしかるべき事のために、莫大な自己投資が不可欠になる。
「汗水垂らして働くことが、マネーディールよりいい」という、私にとっての詭弁が流布しているが、流布すべきはインサイドで利益的な風説だけで十分であり、やりがいが得られるものであれば仕事については何でも良いと思う。市場において価値を持たない仕事など無いのであるから。
相対的な接点しかもたない株式市場において今は株式電子化の時代であるから、確かにパソコンがあれば汗水垂らす事など無いかもしれないが、あらゆる神経が摩滅するのは牢固としている。それゆえベクトルも多様である。レバレッジを挙げれば無限に近似し、その領域は最早笑えるけれどもプラスにおける達成感や「本物」のファンド事業が成功した時には、私が思いつく限りの現在の日本経済に対する至上の社会貢献になる。情報の授業のプレゼンでも発表したことだが、人々には外資に対する意識が足りない。現に先日ブラックストーングループが遂に日本に乗り出して来た。さらに拍車が掛かっているのである。
さてそこで汗水労働者が「拝金主義者は金に操られている」とも言うが、彼等は自身と金の関係こそがどれほど脆弱か気づいていない。つまり意識が足りないのだ。詭弁を言うなら先ず日本経済の現状を把握してからにして欲しく、片端しか捉えきれ無いものを、ましてその道に優れていない人が道破できることであろうか。
つまり話は確かに相対的ではあるが、「不思議」な世界であるので面白い。これら私が持つ価値観は俗には到底解せないだろう。
とはいえ推敲せず綴っているので論理の穴はあちこちにあるが、私はこんな人物でそんな考えを持っている、というイメージを持ってもらえればよい。
こんな私は高校で生徒会、学級委員、視聴覚委員長と経験を多く積むことが出来た。
視聴覚委員会は前年度まで仕事は実質的に千島先生、吉田先生が全てをこなしていた。つまり誰も生徒が手伝わなかったのである。私がやらせももった仕事は放送機器のセッティングとコントロール、生徒会と絡んで行事の撮影で、
先生方への負担が減ればそれが理想的であり又元々当然だったので以降この委員会の委員には積極的に働いて欲しい。また、マイクのコードはねじれなく八の字に巻くように。
私は将来にそれほど不安は無い。魅力を感じるのはサークルの慶應くらいで、仮に受験に失敗しても、宅浪しながらなけなしの金でミニ、ボロ株やボックスでもやるし、先日知人から「来年から塾講師として働かないか」と連絡が入り、友人から「教師、取り分け予備校の売れっ子教師なんかが向いてる」と言われ、また啓蒙好きな自身でも教職はかなり適だと感じる次第だ。
故に、私のこれから人生は破格の楽しみを含むのである。
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